陸前高田市②
陸前高田市には「高田の松原」という有名な松原が海岸線にあった。
その松原は人工衛星からも明瞭に見ることができた。
その松原が津波で消滅した。
図-1はJAXAの地球観測衛星「だいち」が撮影した陸前高田市の、左は地震前、右は地震後の画像である。
緑が豊かなほど赤色が濃くなるように、また、海をはじめ水のある所は青色になるように特別な画像処理が施してある。
左の地震前の画像では「陸前高田」の「陸」の字の左の白い矢印の先方にはっきりとした海岸線があり、その上に赤い細長いところがある。
ここが「高田の松原」である。
その上方の青白いところは陸前高田の市街地である。
右の地震後の画像では海岸線が消え、松原も消え、ずいぶん市街地の奥の方まで青色になっている。
これは津波が市街地を襲って、まだ浸水している状態を意味している。
この「被災地を訪ねて」シリーズの最初に、地震が起こる半年前、すなわち2010年9月に三陸地方の津波への備えと、過去の津波の惨状を伝える石碑を訪ねて歩いたことを書いた。
その時陸前高田にも一泊している。
泊まったホテルの名は「キャピタルホテル1000」。
なぜ「1000」なのかと聞いたところ、陸前高田市出身で歌手の千昌夫が始めたホテルだからとのこと。
実は地震の後に知ったことになるが、宿泊したこのホテルの5階から偶然この松原の写真を撮っていた。
有名な「高田の松原」ということはつゆ知らず、立派な松原だなーと思いシャッターを切った。
その一枚が写真-1である。
部屋の中から窓越しに取ったので、少し色にムラがある。
もし有名な「高田の松原」ということを知っていたら、また半年後に大きな地震が起こり津波によって消滅するということを知っていたら(不可能だが)、窓を開けてもっときれいにたくさん撮っていたのに、と実に残念である。ちなみにホテルも津波で大破した。
写真-2は地震の3か月後に撮った変わり果てた姿である。
この大津波に襲われた松林であるが、奇跡的に一本の松の木が生き残った。
その松は被災した人々の希望の象徴として「奇跡の一本松」と言われた。
写真-3はその奇跡の一本松である。
「奇跡の一本松」はしばらくは生きて人々に希望と勇気を与え続けていた。
写真は地震の3か月後に撮ったもので、間違いなく生きていた。
しかしながら多くの人々の努力も願いもむなしく、ついに枯れてしまった。
今は人工の「奇跡の一本松」が往時の姿のまま立っている。