その29. 東日本大震災その後・仙台空港周辺
2011年3月11日に起こった地震は「東北地方太平洋沖地震」。
これは確かに11年前に起こった過去の出来事。
しかしながらその地震による災害、「東日本大震災」は過去のものではありません。
今も続いています。
この3月7~9日、仙台へ行くことがあり、9日はおよそ半日、レンタカーを借りて仙台空港周辺の岩沼市、名取市の“その後”の様子を見て回りました。
ここは地震から3か月たった2011年6月、初めて被災地を訪れ、最初に見て回ったところでです。
そこは、津波が松林を通り抜けて、次々に住宅を巻きこみ、田畑をどんどん進んでいった、テレビで何度も繰り返し放映された場所です。
当時仙台に赴任していた次男の車で、まだいたるところに被災したビルや家屋を見ながら仙台市を南下、河口付近の流域が津波の遡上によって大きな被害を受けた名取川をさらに南下、仙台空港の方へ向かいました。道の両側は壊れた社屋や倉庫、そしてがれきの山、唯一仙台空港ビルの姿が見えるだけで、その周辺はがれきの他何もありませんでした。
あの衝撃から11年。
がれき以外何もなかった場所には、今、避難場所となる小高い築山がいくつもつくられていました。
そしてその周辺は震災記念公園として整備されています。
その一つが写真の「千年希望の丘 相野釜公園」です。
この千年というのは、次の千年に一度といわれる津波から住民の命を守ることができるように、また今回の出来事が千年の後まで言い伝えられるように、との思いが込められているとのことです。
コンクリートは長くて100年で朽ちてしまう、だから何百年も千年も寿命のある木を植えよう、ということで、築山と築山の間には高く盛った連絡道がつくられ、その両側には木が植えられていました(写真)。
すでにそれらの木々は私の背よりも高くなっていました。