第六十七段:南海トラフ巨大地震が近い ~日向灘のM6.6の地震の意味するもの~

 去る1月22日(土)深夜、たまたまこの時起きていて、緊急地震速報が鳴り、数秒後に揺れがやってきました。
 揺れは10秒くらい続いたでしょうか。
 すぐに時間を測れなかったのは残念でしたが、少なくとも宇部は大したことはない、と直感。
 寝ている家族を起こして安全な行動をとるまでもない、また気になっている南海トラフの地震でもない、と思い、テレビのスイッチを入れました。

 

 時間とともに情報が入ってきて、震源は日向灘で、暫定のマグニチュードMは6.4(のちに6.6に修正)、震源に近い大分県、宮崎県の県境付近の大分市、佐伯市、竹田市、延岡市、高千穂町で震度5強でした。 宇部は震度3、隣の山陽小野田市は震度4でした。

 

 この地震によってけがをした人は13人、家屋の一部損壊が1戸と報告されています。
 亡くなった方がゼロだったということは不幸中の幸いでした。

 

 実は、日向灘ではこれまでも地震が繰り返し起こっています。
 M7.5前後の結構大きい地震は200~300年に一度、M7.0~7.2の地震は20~30年に一度起こっています。

 

 ここは九州が載っているユーラシアプレートの下に太平洋の下にあるフィリピン海プレートが年間約5㎝の速度で潜り込んでいる場所で、フィリピン海プレートが潜り込む限り地震エネルギーが蓄えられて、地震が繰り返し起こる、というところです。
 そういう意味では、珍しい地震ではなかったのですが、今回は少し違った意味で、すなわち南海トラフの巨大地震との関係で注目を集めました。
 図は東海、東南海、南海地震の震源域、およびこれまで日向灘で起こった地震の震源域を示したものです。

 

第六十七段:南海トラフ巨大地震が近い ~日向灘のM6.6の地震の意味するもの~

 

 図には併せて南海トラフ巨大地震の震源域、今回の地震の位置も示しています。
 東海、東南海、南海地震は別々に起こったり同時に起こったりしていますが、仲間とみなされていました。
 一方の日向灘の地震はこれら3地震の仲間とは違う、と思われていたのです。

 

 ところが1707年に起こった宝永の大地震、この時は東海、東南海、南海地震が同時に起こっています。
 そして震源は日向灘にまで広がっていたのではないかとの見方もあります。
 このようなことから、東日本大震災のあと、南海トラフの巨大地震の震源域に日向灘の地震域も含まれました。
 今回の地震はその中で起こった地震で、またMも6.6と結構大きく、M6.8以上になると「南海トラフ地震臨時情報」という聞きなれない情報も出すことになっていますから、余計南海トラフ巨大地震との関係が心配されたわけです。

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