第百段

 早いもので、この防災徒然日記の第1回を一昨年(2020年)年10月12日に書いて、今回で100回となります

 

 私が地震工学の研究者としての第一歩を踏み出した昭和51年のころは、我が国は地震の静穏期、風水害もあまりひどいものは無く、私が所属していた宇治にある京都大学防災研究所は割とのんびりしていて、同じ敷地内にある他の4研究所との間での野球のリーグ戦、研究室対抗のソフトボール大会、夏は水泳大会など研究以外の行事がいろいろとありました。
 野球やソフトボールになると、元高校球児の私は味方から頼れる存在となり、“芸(?)は身を助ける”ことを実感しました。

 

 一方、毎年2月には研究所の研究報告会があり、その1年間の研究成果を発表することになっていました。
 なかなか辛辣な意見や難しい質問があり、私は結構プレッシャーを感じていました。
 災害がいまのようになかったものですから、数学や物理法則などに基づいた基礎研究が多かったのを覚えています。

 

 それから半世紀近い時が流れ、全く様子が変わってきました。
 毎年大変な災害をもたらす風水害が起き、また被害地震も頻発、火山も噴火。
 防災研究所の研究発表会に限らず他の学会も災害調査報告や災害分析が大半を占めるようになりました。
 個人的には将来重要な役割を果たす基礎研究をしている若い研究者が少なくなっていることを少し心配しています。

 

 正直なところ、半世紀前は防災の研究者がこんなに忙しくなるとは夢にも思っていませんでした。
 たぶんその頃でしたら、防災徒然日記も2、30回で書くことが無くなっていたでしょう。
 ところが今は100回書いてもまだまだ書きたいこと、というより書かなければならないことが山ほどあります。
 それほど今の日本は、世界もそうですが、災害多発時代に入っていると実感しています。
 紀貫之の徒然日記は243段ですが、たぶんこの防災徒然日記はそれ以上続くことでしょう。

 

 さて、書かなければいけないことには、確実に近づいている南海トラフの巨大地震と首都直下地震
 まずは首都直下地震について次回から書きたいと思います(図は首都圏の震度分布)。

 

第百段

 

 読者の皆さんの中には首都圏に家族の方が、親戚の方が、あるいは友人、知人がたくさんおられるとことと思います。
 宇部周辺に住んでいる私たちにとっても無関係ではないと思いますので。

トップへ戻る