第百二十七段:トルコの地震の教訓②
今から7年前の2016年(平成28年)4月14日、その2日後の4月16日、熊本県で2回も震度7の地震が起こり、地下を活断層が走っている益城町を中心に大きな被害が生じました。
日本建築学会はこの益城町周辺の全家屋の被害状況を調査しました。
その被害調査結果を、国土技術政策総合研究所に設置された「建築構造基準委員会」と建築研究所に設置された「建築研究所熊本地震建築物被害調査検討委員会」(長い名前ですね)の合同委員会が詳しく分析しています。
図はその合同委員会がまとめた木造家屋の建築時期別の被害状況図に私が少し手を加えたものです。
ここに、「旧耐震」というのは1981年までの改定前の耐震設計基準で建てられた木造家屋のこと、「新耐震」というのは1982年以降、改定後の新耐震設計基準で建てられた木造家屋のことです。
実は、「新耐震」は鉄筋コンクリート建物が中心で、木造家屋については、1995年の阪神・淡路大震災の被害調査結果から、さらに改訂が行われています。
この改訂版は通称「2000年基準」と呼ばれており、現在の木造家屋の耐震基準はこれになっています。
具体的な改定内容は次回に回すことにして、この図より、2000年前に建てられた家屋と2000年後に、すなわち「2000年基準」に基づいて建てられた家屋では被害の状況は大きく違うことがお分かりいただけると思います。
「倒壊、崩壊」の割合は、旧耐震が28.2%、新耐震の2000年前が8.7%、新耐震の2000年後はわずかに2.2%です。
逆に、「無被害」の割合は、旧耐震が5.1%とわずかであるのに対して、新耐震の2000年前は20.4%、新耐震の2000年後は61.4%にも上っています。
地下で活断層が動いたにもかかわらず、60%以上の家屋が無被害だったということはすごいことと思われませんか?
阪神・淡路大震災の時、神戸港は大変な被害を受けました。
しかし耐震設計をきちんとした耐震岸壁は被害を受けませんでした。
ここから物資が被災地に運び込まれました。
また、東日本大震災では仙台空港の滑走路はがれきが片付けられた4日後には使えました。
あの地震の直前に滑走路の液状化対策が終わっており、このため強くて長い揺れにも滑走路は耐えて、すぐに使えたのです。
耐震技術をきちんと構造物に反映することの重要性がよく分かります。