第二十三段:東日本大震災から10年 ~明治、昭和の三陸地震津浪の警鐘~
東日本大震災から10年が経ちました。
テレビや新聞等、多くの特集を行っています。
それらを見て率直に感じるのは、この十年、被災された方々がいかに大変であったか、まだまだ復興への道のりは遠い、といった論調のものが多く(これはこれで大切なことです)、迫りくる次の大災害、首都直下地震や南海トラフ巨大地震へどう備えるか、さらには最近頻発している豪雨災害、土砂災害へどう備えるか、といった「これから」につながる報道がもっとあってしかるべきではないか、ということです。
コロナ禍のせいで在宅時間が多いせいか、あまりにも料理に関する番組が多いと思いませんか?
あるいは、センスのない笑いのバラエティ番組。
これらの時間の一部を次の災害に備える、ということに使ってほしいと思います。
さて、私は東日本大震災の起こる数年前から何度か三陸地方を訪ねていました。
それは、国の中央防災会議が、東北地方、特に宮城県沖でマグニチュード7以上の地震が30年以内に起こる確率は99%、と2003年に発表していたからです。
三陸沿岸地域の「宮城県沖地震」への備えの様子を見るために、また、気仙沼市が主催していた津波に対する備えの研究会にも参加していました。
ちなみに、私が1976年に大学の助手になって最初に被害調査に行ったのが、1978年の宮城県沖地震です。
仙台市を中心に電気、ガス、水道、電話など、いわゆるライフライン(生命線)と呼ばれる施設が大きな被害を受けてました。
そこでこの地震が日本でのライフライン工学が発展するきっかけとなりました。
三陸沖には、実に規則的に約30年に1回大きな地震が繰り返し起こっています。
1978年の地震は、2003年に中央防災会議が99%の確立で起こると予測した地震の1つ前の地震です。
このような背景もあり、東日本大震災の半年前の2010年9月に気仙沼市をはじめ、大船渡市、“奇跡の一本松”で有名になった陸前高田市など、三陸沿岸を見て回りました。
この地域は、明治の三陸地震津波(1896年、明治29年、犠牲者約22,000人)、昭和の三陸地震津波(1933年、昭和8年、犠牲者3,064人)、チリ地震津波(1960年、昭和35年、わが国の犠牲者139人)と、明治以降だけでも3回大規模な津波災害にみまわれています。
そしてこれらの惨禍を繰り返さないために、多くの場所に津波災害を記録した記念碑や石碑が建てられています。
そこでその際、あわせてこれらの碑の写真も撮って回りました。
おおよそ80か所の碑を撮影しました。
印象的だったのは、残っていた石碑の碑文が、「これより低い所に家を建てるな」。
その足元まで今回も津波が押し寄せていて、この石碑より低い所にあった家は流されるか、大きな被害を受けていました。(写真)
写真 陸前高田市にて
「これより下に家を建てるな」、「地震があったら津波が来る」、「欲を捨てて逃げろ」などと書いてある。