第八段:南海トラフ巨大地震が迫っている ~津波防災の日は幕末安政南海地震の起こった日~
この“日記”で南海トラフ巨大地震による津波について書いていたころの11月5日は、実は「津波防災の日」だったのです。
東日本大震災の起こった3か月後の平成23(2011)年6月に、津波対策を総合的かつ効果的に推進することを目的として、「津波対策の推進に関する法律」が制定されました。
この法律では、津波対策に関する観測体制の強化、連携協力体制の整備をはじめとする防災対策の実施などが規定されています。
そして、国民の間に広く津波対策に関する理解と関心を深めるために、11月5日が「津波防災の日」と定められました。
東日本大震災を契機に「津波防災の日」が定められたのなら、なぜ3月11日ではなく11月5日なのか、と皆さん疑問に思われるでしょう。
実はわたしも最初疑問に思いました。ただ、11月5日は今から166年前の安政元年11月5日(太陽暦では、1854年12月24日)に発生した安政南海地震が起こった日です。
この安政南海地震、理科年表によりますと、
“東海地震(安政東海地震のこと)の32時間後に発生、近畿付近では二つの地震(安政東海地震と安政南海地震のこと)の被害をはっきりとは区別できない。被害地域は中部から九州に及ぶ。津波が大きく、波高は串本(和歌山県)で15m、久礼(高知県、現中土佐町)で16m、種崎(現高知市)で11mなど。地震と津波の被害の区別が難しい。死者数千。・・・”
とあります。
気象庁マグニチュードは8.4、モーメントマグニチュードは8.5-8.7とされています。実はマグニチュードはその定義によって何種類かあります。いつかそのことも書きたいと思っていますが、一言でいうと、気象庁マグニチュードは8を超えると精度が悪くなり、モーメントマグニチュードの方が使われます。ちなみに、東日本大震災のマグニチュード9は、モーメントマグニチュードです。
話を戻して、ではなぜ、「津波防災の日」がこの安政南海地震の発生した日に定められたかというと、昭和12年文部省発行、小学校国語読本巻十(5年生用)に「稲むらの火」として、この地震での出来事が紹介され、長くこの「稲むらの火」が津波防災のバイブルと言われていたからだと思います。
図に「稲むらの火」の最初の部分を示します。
庄屋の五兵衛のつぶやき「これはただ事でない、・・・」で始まる「稲むらの火」は、紀州藩広村(現在の和歌山県広川町)を津波が襲った時、濱口梧陵(物語では庄屋の五兵衛)が稲むら(取り入れの終わった稲わらを屋外に積み重ねたもの)に火をつけて、村人を安全な場所に誘導したという実話にちなみます。
来週は「稲むらの火」と、事実に基づく広村での出来事を紹介したいと思います。
図 「稲むらの火」