第二十七段:東日本大震災から10年 ~気仙沼市で起こったこと:階上(はしかみ)中学校のこと~
気仙沼市杉の下地区の近くに、熱心に防災教育に取り組んでいた市立階上(はしかみ)中学校があります。
同級生1人が死亡、2人が行方不明という状況で開かれた、その年の階上中学校の卒業式での卒業生代表梶原裕太君の答辞、時々講演会で紹介しますが、今読んでも胸が締め付けられ、うまく読めません。
梶原君はその後地元の高専に進学、卒業後防災に関係する仕事がしたいということで、地元のコンサルタントで頑張っているそうです。
いつか会って話を聞いてみたいと思っています。
『本日は、未曾有の大震災の傷も癒えない最中、わたくしたちの為に、卒業式を挙行していただきありがとうございます。
ちょうど、10日前の3月12日、春を思わせる暖かな日でした。
わたくしたちは、そのキラキラ光る日差しの中を、希望に胸を膨らませ、通いなれたこの学舎を、57名揃って巣立つ筈でした。
前日の11日。
一足早く渡された、思い出のたくさん詰まったアルバムを開き、十数時間後の卒業式に、思いを馳せた友もいたことでしょう。
「東日本大震災」と名づけられる、天変地異が起こるとも知らずに・・・。
階上中学校といえば「防災教育」といわれ、内外から高く評価され、十分な訓練もしていたわたくしたちでした。
しかし、自然の猛威の前には、人間の力はあまりにも無力で、わたくしたちから大切なものを、容赦なく奪っていきました。
天が与えた試練というには、むごすぎるものでした。
辛くて、悔しくてたまりません。
時計の針は、14時46分を指したままです。
でも、時は確実に流れています。
生かされた者として、顔を上げ、常に思いやりの心を持ち、強く、正しく、たくましく生きていかなければなりません。
命の重さを知るには、大きすぎる代償でした。
しかし、苦境にあっても、天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていく事が、これからの、わたくしたちの使命です。
わたくしたちは今、それぞれの新しい人生の一歩を踏み出します。
どこにいても、何をしていようとも、この地で、仲間と共有した時を忘れず、宝物として生きていきます。
後輩の皆さん、階上中学校で過ごす「あたりまえ」に思える日々や友達が、いかに貴重なものかを考え、いとおしんで過ごして下さい。
先生方、親身の御指導、ありがとうございました。
先生方が、いかにわたくしたちを思って下さっていたか、今になってよく分かります。
地域の皆さん、これまで様々な御支援をいただき、ありがとうございました。
これからもよろしくお願い致します。
お父さん、お母さん、家族の皆さん、これからわたくしたちが歩んでいく姿を見守っていて下さい。
必ず、よき社会人になります。
わたくしは、この階上中学校の生徒でいられたことを誇りに思います。
最後に、本当に、本当に、ありがとうございました。』
平成23年3月22日
第64回卒業生代表 梶原 裕太
(文部科学白書 平成22年度より)