第百四十七段:「天正地震」

 私はあまりテレビドラマは見ないのですが、二つだけは必ず見ています。
 出張などで見れないときは録画をして、帰ってから見ています。

 

 一つはNHKの朝ドラの「らんまん」。
 植物学者牧野富太郎をモデルにした牧野万太郎の波乱に満ちた人生、やさしさで周りの人を笑顔にし、しかも毅然と自分の意志を通す生きかた。
 毎朝のように感動し、元気をもらっています。

 

 もう一つはNHK大河ドラマ「どうする家康」。
 だいぶ脚色があるとはいえ、大筋では史実に基づいており、下剋上の戦国時代、家康がどのように生き延びていったか、家康の大体の生涯を知っているので最後は天下を取ることは分かっているのですが、その時々にどのように決断したのか、非常に興味があるからです。
 理不尽な人生を強要されるわけですが、それでも家康は運がいい男だと思います。

 

 先週3日の放送で、最初にあったシーンの「天正地震(てんしょうじしん)」、この地震は内陸の直下型地震ですが、日本の歴史に大きな影響を与えたようです。
 この天正地震は、安土桃山時代の天正13年11月29日(西暦1586年1月18日)に日本の中部地方で発生した巨大地震です。
 不明な点も多く震源やマグニチュードも諸説あるようですが、現在の岐阜・愛知・三重を震源とするM8クラスの地震ということは間違いないようです。
 近畿から東海、北陸にかけての広い範囲、現在の福井県、石川県、富山県、岐阜県、愛知県、三重県、滋賀県、京都府、奈良県にまたがって甚大な被害を及ぼしたと伝えられています。

 

 3日の「どうする家康」ではさらっと流されましたが、秀吉は家康を討伐するために周到な準備を進めており、今の岐阜県大垣市にある大垣城に兵糧や兵器を備蓄していました。
 年が変わるといよいよ家康を討伐する、その直前に天正地震が起こり、大垣城は壊滅しました。

 

 大垣城は濃尾平野を流れる揖斐川の西にあり、一帯は軟らかい地層です。
 したがって強烈な揺れで大規模な液状化も起こったことでしょう。
 家康討伐どころではなくなりました。
 この地震が起こらなければまず確実に家康は秀吉に滅ぼされていただろうというのが一般の見方のようです。
 この辺の詳しい事情は、磯田道史著「天災から日本史を読みなおす」(中公新書)の第一章にあります。

 

 実は安土桃山時代は地震の活動期にあったようです。
 上記天正地震の後には1596年9月1日に「慶長の豊後地震」、この地震で別府湾の中にあった「瓜生島」が消滅したという言い伝えがあります。

 

 またその5日後の9月6日には「慶長の京都地震」。
 秀吉の建てた伏見城天守閣が大破しています。
 このころ秀吉は朝鮮出兵をしており多くの大名の心が離れつつあるときに、地震後の対応が悪く、この地震は秀吉の天下にとどめを刺したともいわれています。

 

 そして1605年2月3日には「慶長の南海―房総沖地震」という巨大地震が南海トラフで起こっています。

 

 幕末、そして第2次世界大戦最中の1944年にも南海トラフの巨大地震が起こっており、自然災害が日本の歴史に大きな影響を与えたということはほかにもありそうです。

 

 


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