第九十五段:札幌でのひと夏③
札幌の北海道開発局での実験補助、毎日毎日石狩川の模型を使って洪水の実験をしていました。
写真-1は模型の横でのワンショットです。
セピア色が時代の流れを感じさせてくれます。
三日月湖という言葉がありますが、かつての石狩川の流域には三日月湖がたくさんありました。
石狩川が洪水のたびに流れを変えて、その名残として残っていたのですが、今は開発が進み、宅地等になっています。
これらのもと三日月湖を埋め立てたところは地盤が柔らかく、地震があると液状化が非常に起こりやすいところです。
当時は、石狩川の堤防、あるいはダムを建設して洪水を防ぐための研究と工事が盛んにおこなわれていました。
その一環として、現地調査をするということで2泊3日のゴムボートでの石狩川下りにも参加しました。
写真-2はその時の様子です。
手前の大きなゴムボートに乗って、石狩川を下り、途中水の流れや砂州の様子、あるいは岸辺の石の大きさや植生などの調査をしたように記憶しています。
研究のお手伝いと言いながら、言われたことを「ハイッ」と言って写真と取ったり、石などの大きさを測ったり、流れの速さを測ったりと、身体を使っていればよく、頭を使う必要はなく、石狩川の水の流れにゆらゆら揺れながら流されるという、実に気持ちのいい三日間でした。
北海道開発局へ行ったのは、大学の先輩の山口甲(はじめ)さんがそこにおられたので、面倒を見てもらったというわけです。
山口さんはその後開発局の局長までなられた方ですが、気さくな方で、その後もずっとお付き合いをさせて頂きました。
私が防災研究所で地震工学を研究する、ということをお話したときに、「地震ですか、河川じゃないんですか」、とちょっと残念そうにされたことを思い出します。
後日談になりますが、1995年の阪神・淡路大震災を契機に、山口県防災会議に地震対策専門部会が設置され、その委員長を仰せつかりました。
その後その専門部会は地震だけでなく、防災対策専門部会と名称変更し、風水害も検討することになりました。
私は引き続きその委員長を務めることになりましたが、そのこともあって、山口県の河川委員会の委員も務めることになりました。
そして現在は河川委員会の委員長を務めさせて頂いていますが、私の防災との関わりの原点である北海道開発局のひと夏を思い出し、不思議な縁を感じています。