第百六十五段:令和6年能登半島地震③

 この原稿を書いている1月17日は、阪神・淡路大震災から29年目の日になります。

 

 私は大阪でその日の朝早く、非常に強い揺れで目を覚ましました。
 日米都市防災会議の初日、「次の地震に備えて」という国際シンポジウムを行う、まさにその日の朝に地震が襲ってきたのです。

 

 私は他の幹事の先生方と会場に残って、被害の様子をテレビで見ていました。
 翌日新聞社の車で神戸へ向かいましたが、すでに大渋滞で、西宮まで行くのが精一杯でした。
 新幹線の線路が空中にぶら下がっています。
 また私鉄の電車が高架の駅から落下しそうになっています。
 全く現実感がなく、映画を見ているようでした。

 

 住居はというと、重い屋根瓦と土壁、壁の代わりに障子やガラス戸の間仕切りの、いわゆる典型的な日本家屋がことごとく被害を受けていました。
 今回の能登半島地震でも同様に典型的な日本家屋が大きな被害を受けています(写真‐1)。

 

第百六十五段:令和6年能登半島地震③

 

 阪神・淡路大震災も寒い1月でしたが、能登半島の方がかなり気候的には厳しい状況です。
 いまだに約16,000人の人が寒い中で、水も食料も燃料も不十分な中で避難生活をされています。
 県や市はホテルや旅館などの宿泊施設への二次避難を勧めています。
 しかしながら被災された方にはそれぞれ事情があり、すぐには二次避難に応じられない方が多くおられるようです。

 

 専門家と呼ばれる人の中には、被災者に寄り添ったきめ細やかな対応をすべき、といった美しいことを言っている人がいます。
 が、私はいろいろ事情があろうとも、まずは二次避難をして、暖かい風呂に入って、暖かい部屋で、温かい食事をして、暖かい布団で寝ることが最優先だと思うのです。

 

 行政は強引といわれるかもしれないくらいに半強制的に二次避難を進めてもいいのではないかと思います。
 命が全てに優先します。
 事情があるがゆえに寒いところで避難生活を続けていると体調が急変し、命を落としかねません。
 いわゆる災害関連死です。
 能登半島の状況は、被災者に寄り添ってきめ細かな対応をするような余裕はありません。

 

 実際、2011年の東日本大震災では、せっかく強い揺れや津波から助かりながら、寒さなどで体調を壊して亡くなった方がたくさんおられます。
 犠牲者約22,000人のうち約3,400人が災害関連死です。
 死んではいけないのです。
 命があれば、また何とかなります。

 

 


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