第七十四段:東北地方太平洋地震と東日本大震災 ~新幹線が脱線~
先月25日、政府・地震研究推進本部から「日向灘及び南西諸島海溝周辺の地震活動の長期評価」(第二版)が発表されました。
この長期評価は、図に示すように、「日向灘」、「南西諸島周辺」、「与那国島周辺」、「安芸灘~伊予灘~豊後水道」、「九州中央部」、南西諸島北西沖」の6つの領域の地下で将来起こる地震の規模(マグニチュード)とその発生する確率がどの程度なのかを示したものです。
この領域の地下ではフィリピン海プレートがユーラシアプレート(大陸プレート)の下に潜り込んでいて、その境界付近で過去繰り返し地震が起こっています。
長期評価については次回以降にまわし、今週はこの海域で起こった日本史上でも有数の地震津波についてお話ししたいと思います。
その地震とは、1771年4月24日(明和8年3月10日)午前8時頃発生、震源は八重山列島近海(図の中の赤丸)、マグニチュードは7.4~8.7、大津波が先島諸島を襲い、この津波は「明和の大津波」といわれています。この津波によって宮古・八重山両列島で死者・行方不明者約11,000人、家屋流失約2,000戸という大惨事が起こりました。
津波の遡上高はある資料では二十八丈二尺とあり、現在の高さにすると85.4mにもなるというとんでもない高さでした。
少なくとも十数年前の理科年表にはこの数字が載っていました(現在の理科年表には遡上高の記載はありません)。