第十一段:南海トラフ巨大地震が迫っている ~島原大変・肥後迷惑~
先週アラスカ州の州都ジュノーの西方約200kmにあるリツヤ湾の奥で大規模な山体崩落(斜面崩壊)が起こり、それによって海中になだれ込んだ大量の土砂や氷塊により湾内で巨大な水しぶきが発生、対岸に津波が押し寄せた。その津波の高さは524mに及び、これが世界最高の津波遡上高、ということを書きました。
これほどの高さではありませんが、地震によって山の斜面が大規模に崩壊、その大量の土砂が海になだれ込んで津波を起こし、湾の反対側に大きな被害を起こした、ということが日本にもあります。
いまから30年前、1990年(平成2年)11月17日に雲仙普賢岳の山頂付近から噴煙が立ち上り、噴火が始まりました。
噴火による溶岩は粘性が高かった(粘っこい)ために流下せず火口周辺に溶岩の塊となって盛り上がり、すなわち溶岩ドームが形成されました。時々限界に達して溶岩ドームは崩壊して流下しますが、そのとき溶岩の破片は火山ガスとともに山の斜面を時速100kmものものすごいスピードで流れ下ります。これを火砕流と呼びます。
1991年6月3日に発生した火砕流では43名の死者不明者を出す大惨事となりました。犠牲になったのは主に報道関係者でした。このことを記憶されている方も多いと思います。
この時の噴火活動は、途中一時的な休止をはさみつつ1995年(平成7年)3月頃まで継続しました。
さて、この噴火からさかのぼること約200年、1792年2月ころから雲仙普賢岳が噴火を開始しました。
この噴火に伴って地震が頻発、そして5月21日の夜、大きな地震が発生、この地震によって普賢岳の有明海側にある眉山に大規模な山体崩落が発生しました(写真)。
写真 雲仙普賢岳と眉山
Unzen pyroclastic and lahar deposits - 雲仙岳 - Wikipedia
この山体崩壊により大量の土砂が有明海に流れ込み、10m以上の高さの津波が発生しました。
津波の第1波は約20分で有明海を横断して対岸の肥後(現在の熊本県)に到達しました。肥後の海岸で反射した反射波は島原を再び襲い、津波による死者は島原で約10,000人、対岸の熊本で約5,000人と言われています。
これを「島原大変肥後迷惑」といいます。
肥後側の津波の遡上高は現在の熊本市の河内、塩屋、近津付近で15~20m、三角町大田尾で最高の22.5mに達し、島原側は布津大崎鼻で57mを超えたとの記録があるそうです。もしそうであれば、先週書いた八重山地震による石垣島での津波遡上高よりも高かったことになります。
この時に有明海に流れ込んだ岩塊は、島原市街前面の有明海の浅瀬に無数の小さな島として今も残っており、九十九島(つくもじま)と呼ばれています。このような地形を「流れ山」と呼ぶそうです。この「流れ山」、石垣島でも見ることができます。
雲仙岳の噴火は過去繰り返し起こっていますが、これは別府の温泉、阿蘇山の噴火、熊本の地震と無関係ではありません。次回以降、その辺のことを書きたいと思います。