第百五十七段:関東大震災から100年②火災による被害の様子

 今週は「関東大震災」の被害について述べたいと思います。

 

第百五十七段:関東大震災から100年②火災による被害の様子

 

 表は各県ごとの死者行方不明者をまとめたものです。
 この論文の著者の一人である武村雅之氏は、私と同年代(ほんの少し私より年下)で、研究分野も近かったので、学会などでよく一緒に話をしたり、飲んだりしました。
 彼のライフワークが関東大震災で、非常に多くの素晴らしい研究成果を残しています。

 

 昔の理科年表には、関東大震災の死者不明者は約14万人と記載してありましたが、武村氏の詳細な調査・研究で、ダブルカウントもあり、実際は約10万5千人であったことが明らかにされました。
 表はまさにその研究成果です。
 この表より住宅の全壊による犠牲者は、震源域の神奈川県の方が5,795人と、東京の3,546人よりも多くなっています。
 また千葉県でも震源域の上であったことから1,255人が亡くなっています。

 

 次に火災を見ると、神奈川県でも25,201人以上の人が亡くなっています。
 これはこれで大変な数字なのですが、東京では66,521人が犠牲者となっています。
 特に現在の北区にあった本所被服廠跡地の惨事が有名で、ここには地震後約4万人が避難していましたが、火災旋風などにより約3万8000人が犠牲になりました。
 ともすればここの惨事ばかりが注目されますが、他の所も大変だったのです。

 

第百五十七段:関東大震災から100年②火災による被害の様子

 

 図は関東大震災の延焼範囲です。
 図中の色が濃くなっているところそうですが、皇居の東、現在の千代田区、港区、中央区、台東区、江東区など非常に広い範囲に及んでいます。
 地震直後130か所余りで火災が発生、このうち70か所以上で消し止められず、火が広がったということです。
 これだけ広い範囲に燃え広がると避難するところが無くなってしまいます。
 多くの人が隅田川はじめとする川に飛び込んで、川に夥しい死体があったという記述もあります。

 

 全犠牲者10万5385人中、9万1781人が火災による犠牲で、その割合は87%にも上っています。

 

 


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