第百六十三段:令和6年能登半島地震①

  元日、二日と新年早々衝撃的な映像が飛び込みました。

 

 元日16時過ぎ、サッカー日本代表の強化試合が快勝に終わって、そのままテレビを見ていましたら、能登半島の地震のニュースが入り、画面の中で揺れによって手前の家の瓦がずれ、遠くでは家が倒壊したのか、砂煙がもうもうと立ち上がりました。
 16時10分、とどめを刺すかのようにM7.6の地震。
 石川県志賀町で震度7が観測。
 また津波警報も出されました。
 津波は輪島港で1.2m以上の津波(記録が1.2mでストップしているので、こう表現されていますが)、被害状況から判断して、実際はもっと高かったようです。
 その輪島市では大規模な火災も発生し、200棟以上が焼失しました。

 

 ふと、1995年1月17日の阪神・淡路大震災でのことを思い出しました。
 昼のニュースでは犠牲者が100人以上、夕方のニュースでは1000人以上と確か報道されたと記憶しています。
 最終的には6400人を超えるが人が犠牲になりました。

 

 この原稿を書いている4日の朝現在、犠牲者の数は石川県で73名が確認されています。
 まだ倒壊家屋も多く、その下敷きになっている人もいる可能性が高く、残念ながら犠牲者の数はもっと増えることでしょう。
 現場では必死の救助活動が行われていることと思います。

 

 能登半島周辺で2020年から続いている地震活動では、これまでの最大は昨年5月5日のM6.5、 最大震度6強の地震でしたが、今回のM7.6の地震のエネルギーはその約50倍になります。

第百六十三段:令和6年能登半島地震①

 

 図‐1は1日以降の地震の震源分布の図です。
 これより能登半島の先端を北東から南西にかけて約150㎞にわたって多くの地震が起こっていることが分かります。

 

第百六十三段:令和6年能登半島地震①

 

 図-2はどれくらいのマグニチュードの地震がいつ起こったかを示したものです。
 この図には16時06分のM5.7の地震とM7.6の地震を示しています。
 M5.7の地震が起こる前、M1~2の地震が10回程度起こり、大きな地震発生につながっています。
 M7.6の地震の後にはM5を超える地震が繰り返し起こっています。
 この図から、まだM5クラスの地震(余震)は続くものと思われます。
 全国からの支援が行われています。

 

 羽田空港の日本航空516便が海上保安庁の航空機と滑走路上で衝突、炎上した画像も衝撃的でした。
 海上保安庁の航空機は能登に救援物資を送るためだったとのこと、5名の方が亡くなりました。心が痛みます。

 

 


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