第百四十九段:「関東大震災・神田」

 連続テレビ小説「らんまん」、念願の植物図鑑の発行が神戸の若き資産家によって実現しようとしたまさにその直前、関東大震災が起こりました。
 万太郎と寿恵子たちは倒壊した長屋から持てるだけの標本を持って必死の避難をします。
 東京中が火災によって人々が逃げまどう中、万太郎の植物誌の印刷を助けるだけでなく仲人も務めてくれ大いに万太郎一家を支えてくれている大畑印刷所の大将が敢然と火に向かって消火を始めようとするシーンがありました。

 

 ドラマの中では大畑印刷所は神田にありました。
 ドラマと史実がどこまで一致しているかは不明ですが、神田、秋葉原の佐久間町、和泉町などのある地域は人々の必死の消火活動で延焼を逃れたことは事実です。

 

 これは偶然そうなったのではなく、この地域に木材置き場があって可燃物が多くあったり、明治時代にここから出火があったことなどから、地元の人々は火の元、火の始末には非常に気を使っていました。
 他の町内よりも多くの水桶を設け、火の用心に努め、「何があってもこの町から火を出さない」という長老たちの強い決意のもとに防火訓練も行なわれていたということです。

 

 そして関東大震災の日、ドラマの大畑印刷所の大将のような町内会長や町のリーダーが集まり、町の人々に呼びかけます。
  「この町のもんは逃げてはいけない。みんな桶やバケツを持って、集まってくれ」。
 その声に、慌てていた人々は我に返り、日頃の防火訓練を思い出します。
 そして体の不自由な人や子供を避難させると、町の人々は近くの貯水所や神田川から水を汲み上げて、バケツリレーで消火していったということです(WEB歴史街道より)。

 

 死を覚悟でこの地域の人々は消火活動にあたったのですが、現在このような行動がいいのかどうか。
 私は初期消火がうまくいかなかった場合には、命を守るために急ぎ避難をするべきと思います。
 しかしながら、日ごろからの備えと訓練がいかに重要であるかをこのことは意味していると思います。

 

 秋葉原駅に近い和泉公園に、「防火守護地」の石碑が建っています。
 碑には「この付近一帯は大正十二年 九月一日関東大震災のときに町の人が一致協力して防火に努めたので出火をまぬかれました。」といったことが刻まれています。(写真)

 

第百四十九段:「関東大震災・神田」

 

 


トップへ戻る