第十四段:阪神・淡路大震災から26年 ~大阪のホテル、強烈な揺れで目を覚ます~
この日曜日の1月17日は阪神・淡路大震災が26年前に起こった日でした。
もう26年経ったのか、という一種の感慨を覚えます。
というのは、阪神・淡路大震災を大阪で体験したからです。
この経緯はまた別の機会に書くことにして、翌18日、私は京都新聞の記者と一緒に大阪から西宮市へと被害の様子を見に行きました。本当は神戸まで行きたかったのですが、周辺の被害が激しかったことと、ひどい渋滞でとても西宮市から先へは行けませんでした。
目に入ってくる景色はまるでハリウッドのパニック映画を見ているようでした。これが現実の世界なのかとなかなか現実のこととは思えませんでした。家はことごとく、と言っていいほど倒壊していました。西ノ宮駅近くの阪急電車は多くの車両が脱線、新幹線の高架は倒壊して、線路が空中に浮かんでいました(写真)。
写真 宙ぶらりんになった新幹線の線路
さて、先週、阪神・淡路大震災で、建築基準法の耐震設計基準が改訂された昭和56年以前に建てられた家とそれ以後に建てられた家とでは被害に大きな差があった、と書きました。この傾向は統計的にはその通りです。しかしながら個々の家を見ると必ずしもそうとはいえません。
一見外観は古そうに見えるある家は、その周辺の家がことごとく大きな被害を受けているのに対して、無事に建っていました。幸いその家の奥さんに話を聞くことができました。数か月前に家の傷んだところを補修したんだそうです。
逆にあるところでは、まだ新築に近い純和風の家屋が完全にぺしゃんこになっていました。瓦屋根でその瓦の下に土が敷いてあり、見るからに屋根が重たかったことが分かりました。
また壁が土壁で柱と柱の間には斜めの筋交いが入っていなかったのです。このような構造は、いくら新しくても地震には非常に弱いのです。
その家と道路一本を挟んだ反対側では、いわゆるハウスメーカーの建てた家、屋根が軽くて、土壁ではなく、柱と基礎の固定がしっかりしている家、無傷で建っていました。
家の中は見ていないので中の状況は分かりませんでしたが、家具の固定などをきちんとしていたら、少し片づけをするだけでその日から生活ができたでしょう。
家屋は時間とともに傷み、劣化してきます。昭和56年から40年経ちます。
最近建てた家は震度5強の揺れでも大丈夫でしょうが、いくら昭和57年以降に建てられたとはいえ、古くなった家は手当てが必要です。