第十九段:阪神・淡路大震災から26年 ~地震による力:レベル1とレベル2~
阪神・淡路大震災以後、構造物の耐震設計には、地震によって構造物に働く力(地震力)を「レベル1震動」と「レベル2地震動」の2段階の地震(地震動)で考えることになった、と先週書きました。
鉄筋コンクリート造の建物や橋、ダムなどの土木構造物は大体50~100年使うことが前提になっています。
この使用期間中に数回起こるような地震に対しては、無被害か、被害があったとしても軽微で修理がすぐできて、地震後もすぐに使えるように設計されます。
この時の耐震設計に使われる地震動が「レベル1地震動」です。
一方、阪神・淡路大震災の時のように、活断層が直下で、あるいはすぐ近くで動いて、数百年から数千年に一度起こるか起こらないかのような非常にまれではあるけれど、起こると極めて強烈な揺れになるような地震動に対しても設計をしないといけない、という考えが導入されました。
この時の地震動が「レベル2地震動」です。
当然強烈な「レベル2地震動」に対して耐震設計をするということは、それだけ構造物を頑丈にしないといけないので、建設費用は高くなります。
構造物の寿命が50~100年という期間に対して、その発生間隔が数百年から数千年に一度という10倍にもなるめったに起こらない「レベル2地震動」に対して設計するということは、考え方によっては、非常に不経済な設計をすることになります。
そこで、人命は確保しながら、構造物はある程度被害が生じることを許して、すなわち少しでも安くなるように設計して、人命と経済性の両立を考えて耐震設計する、ということが阪神・淡路大震災後行われるようになりました。
橋であれば橋げたが落ちないように、ビルであれば柱や壁にひびが入っても潰れないように、という設計です。
その良い例が神戸市役所のビルです。
写真の右のビルは、阪神・淡路大震災で6階が潰れた2号館です。
右:6階が潰れた神戸市役所2号館、左:建物本体は無被害の同1号館
左は当時新築の高層ビルの1号館で建物本体には被害はありませんでした。
この1号館の1階ロビーでは多くの人が避難生活をしていました。
2号館は「レベル2地震動」には耐えられなかったけれど、1号館は見事耐えた、ということになります。
当時は「レベル2地震動」に対して設計するという考えはありませんでしたから、1号館が耐えたのは結果的に、ということになりますが。
東日本大震災の津波被害の後、「レベル1」の外力(地震や津波、洪水など)に対しては構造物、すなわちハードで、「レベル2」の外力に対してはハードだけでは耐えられないので、ソフト(例えばハザードマップなど)も加えて対応しよう、という考え方が一般的になりました。
この「レベル1地震動」、「レベル2地震動」と『揺れやすさマップ』の関係について、次回は書きたいと思います。