第二百三十四段:南海トラフの巨大地震とその時代⑳

 ここ20回に渡って、過去に南海トラフで起こった巨大地震、およびその前後に起こった直下地震がわが国の歴史に大きな影響を及ぼしたということを書いてきました。

 

 昭和19年・21年の戦中・戦後に起こった地震、幕末の安政時代に起こった地震、江戸時代初期の慶長時代に起こった地震、その前後の直下地震が起こらなければ、日本の歴史は大きく変わっていたに違いないのです。
 それと同時に、これらの地震によって実に多くの人命が奪われています。

 

 話は飛びますが、1988年から1990年の間、私はアメリカのコーネル大学に客員助教授として留学する機会に恵まれました。
 このような機会を与えて下さった当時の教授の先生方には本当に感謝しています。

 

 さて、当時の日本はバブルの真っただ中。ニューヨークでも、コーネル大学のあるニューヨーク州北部にあるイサカという田舎街でも本屋に行けば日本のサクセスストーリーの本がたくさん並んでいました。
 ある日、かつて駐日アメリカ大使を務めたライシャワーさんの本を購入しました。
 奥様は日本人でもあり、大使ご自身大の日本通でした。

 

 その本によると、19世紀、アジアの国々が次々に欧州列強の植民地になったのに日本は植民地にならなかった。
 それは日本には植民地にするに値する資源がなかったから、と書いてありました。

 

 これは私にとってはショックでした。
 日本が植民地にならなかったのは高杉晋作はじめ、幕末の志士が命がけで日本を守ったからだと思っていたからです。
 そうではなかったということです。

 

 ただ日本人の知的レベルは高いので、植民地にするよりは通商を通じて利益を得た方が得策、と当時のアメリカは考えた、といったことも書いてありました。
 ペリー、ハリスはじめ日米和親条約、日米通商条約を締結したアメリカ人は日本人の知的レベルを高く評価してくれた、ということで、ショックを受けつつも、単純な私は喜ぶとともに先人を誇りにも思っていました。

 

 ただ、今回20週にわたって南海トラフの巨大地震とその前後の地震がわが国の歴史に与えた影響を見ると、日本人はそんなに知的レベルが高くないのではないかと思うようになりました。

 

 和紙と墨の文化で長い時代の記録が残っていて、それらをきちんと読解する能力がありながら、大震災や風水害、火山噴火といった自然災害に対して全く同じことのくり返しで多くの命が失われています。
 学習能力がないのです。

 

 高校時代、私はカタカナに弱いので、世界史ではなく日本史をとりましたが、日本史の中で災害のことを学んだ記憶は全くありません。
 これだけ災害が日本の歴史に影響を及ぼしているのに、全くそのことには触れられていない、だからいつまでたっても自然災害で命を絶つ人が後を絶たない。

 

 災害大国の我が国は、まずは過去の災害に学び、命を守るにはどうしたらよいかを学校できちんと学び、その上で国語、算数、理科、社会ではないかと思うのです。
 いくら英語や数学ができても命を失っては何にもならないと思うのです。

 

 

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