第二百十九段:南海トラフ巨大地震とその時代⑦安政東海地震

 1854年12月23日午前9時過ぎに起こった安政東海地震(M=8.4)、まずは理科年表(2023年版)から見てみます。

 

 『被害は関東から近畿に及び、特に沼津から伊勢湾にかけての海岸がひどかった。
津波が房総から土佐までの沿岸を襲い、被害をさらに大きくした。
この地震による居宅の潰・焼失は約3万軒、死者は2千~3千人と思われる。
沿岸では著しい地殻変動が認められた。
地殻変動や津波の解析から、震源域が駿河湾深くまで入り込んでいた可能性が指摘されており、すでに100年以上経過していることから、次の東海地震の発生が心配されている。』

 

 理科年表には100年以上と記載されていますが、今年は2025年なので、すでに170年以上が経過しています。

 

 私が助手になった1976年に、「駿河湾地震説(東海地震説)」の論文が発表されました。
 これは当時東大助手の石橋克彦氏が南海トラフの過去の地震発生を詳細に研究し、1854年に破壊したと考えられる駿河湾周辺が、1944年の昭和東南海地震の時に破壊していないことから、ここに地震のエネルギーが相当たまっていて、1854年から120年以上経過しており、いつここで地震が起こってもおかしくない、というものでした。

 

 以来、静岡県はもとより国も大規模地震対策特別措置法を制定、東海地震は予知できる、との前提で対策が進められてきました。
 通常、地震は起こった後に起こった場所などを参考に名前が付けられますが、この東海地震は起こる前に名前がつけられたという、世界でも例を見ない地震です。

 

 さて、駿河湾付近を震源とする東海地震ですが、過去ここだけが単独で起こったことはありません。
 多くの場合、東南海地震の震源域と一緒に起こっています。

 

 安政東海地震は東海地震という名ですが、実際は東海、東南海地震の震源が一緒に破壊しています。
 1707年の宝永の地震の時は、東海、東南海、南海地震の震源域が一気に破壊しています。
 図に東海、東南海、南海、日向灘地震の震源域を示します。

 

第二百十九段:南海トラフ巨大地震とその時代⑦安政東海地震

 

 図には併せて、東日本大震災後に見直された南海トラフ巨大地震の震源域も示してあります。
 これは南海トラフ巨大地震の最悪のシナリオで、東海、東南海、南海地震の震源が一緒に破壊し、さらには最近地震活動が活発な日向灘も破壊する、というものです。

 

 来週は安政東海地震の被害をもう少し詳しく見てみましょう。

 

 

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