第二百二十段:南海トラフ巨大地震とその時代⑧続・安政東海地震
図は1854年12月23日に起こった安政東海地震で最も揺れの大きかった静岡県内各地の震度です。
もちろんこのころ気象庁震度階はありませんから、古文書の被害の記載内容から現在の震度階に換算した結果です。
内閣府・災害教訓の継承に関する専門調査会の委員の皆さんの苦労のたまものです。
とはいえ、現在のように震度計で計った震度とは精度は違います。
図では各地の震度が色分けしてあるのですが、分かりにくいので、震度7、6強、6弱の多い地域を楕円で囲んで示しました。
それらの地域は東から現在の三島・沼津市周辺、富士市周辺、静岡・清水市周辺、藤枝・焼津市周辺、袋井・掛川市周辺です。
これらの地域はもともと人口が多かったところですが、川によってできた平野で地盤が柔らかく、揺れやすかった、ということもその原因として考えられます。
この安政東海地震にはもう一つ特徴的な揺れが認められます。
それは前段で紹介した理科年表の記述『沿岸では著しい地殻変動が認められた。地殻変動や津波の解析から、震源域が駿河湾深くまで入り込んでいたり・・・』ということで、内陸部の遠い所、たとえば、山梨県甲府盆地や、長野県の松代付近でも震度6に相当する揺れで、大きな被害が出たようです。
実は、これに似た現象が1985年にメキシコの太平洋沿岸で起こったメキシコ地震でも起こっています。
震源から400㎞も離れたメキシコシティで多くのビルが倒壊するという被害が起こっています。
メキシコシティはかつては湖で、17世紀以降埋め立てられた人工地盤です。
分かりやすく言えば料理に使うボウルの中の豆腐のような感じで、やわらかい地盤であるがゆえによく揺れました。
このメキシコ地震では倒壊したビルに多くの人が閉じ込められ、72時間以内に救出された人は生存、72時間を超えると一気に死亡率が高くなりました。
それ以来、72時間が生存の目安、と考えられ、どんな災害でも72時間以内に救出を、と言われはじめました。
しかしこれは一部では正しいのですが、日本の木造家屋には当てはまりません。
日本の木造家屋が倒壊した場合、ぺっしゃんこになって、ほとんど無傷、あるいは軽傷で72時間生存できるスペースはありません。
阪神・淡路大震災がそのことを如実に示しています。
24時間以内に救出しないと一気に死亡率が高くなったのです。