第二百三十六段:デジタル・ミュージアムが欲しい②
前段で、ある時私が岩国市の科学センターの担当の方に、「岩国市はいろいろと予算がついていいですね。」と言ったところ、「いいえ、私たちは宇部市が羨ましいです。」と思いがけない回答があった、と書きました。
そのココロは、
「宇部には工学部、医学部、それに高専があるじゃないですか。羨ましくてたまりません。これはほかの市町もそう思っていると思いますよ。」
言われて、そうか、と思いました。
私自身工学部の中に身を置いていたので、宇部には工学部、医学部があって当たり前、たぶん多くの宇部市民がそう思っているに違いないと思ったのです。
工学部長を務めたとき、工学部創立70周年記念事業を行いました。
そのこともあり、工学部、医学部の歴史も調べました。
ごくごく簡単に紹介しますと、工学部、医学部を宇部に設置するために、宇部の先人たちは国の動きを敏感に察知、大変な苦労をして、土地を準備、校舎、先生の給与なども寄付して、実に迅速に工学部(旧制宇部高等工業学校、昭和14年)、医学部(県立医学専門学校、昭和19年)の設置を成し遂げました。
実に先見の明のなせるところでした。
余談になりますが、これまで何度か工学部、医学部も山口に移転して山口大学のキャンパスを統一しよう、という議論がありましたが、いまだに実現していません。
それは両学部の設立には以上のような経緯があり、宇部から離れるわけにはいかないのです。
さて、宇部は“有限の石炭から無限の科学へ”ということで石炭の街から工業都市へと実に上手に姿を変えました。
その変身には地元企業の大変な努力と共に、工学部、医学部の貢献も大きかったと思います。
この間、大きな科学技術の発展、医療技術の発展がありました。
工学部にも医学部にもそれらを物語る多くの遺品、宝があります。
それは宇部高専、地元企業にも数えきれないほどあると思います。
また、一般市民の人も所蔵されているのではないかと思います。
それらは科学や技術に限りません。
宇部の発展に縁の深い芸術や文化、災害に関するものも含めてです。
残念ながらそれらの宝がどんなもので、どこにあるのか、どんな役割をしたのか、私は工学部にあるものしか知りません。
多くの市民の皆さん、ましてや子供たちは、この宇部の発展に大きく寄与した様々な宝がどこにあるか全く知らないのではないかと思います。
これはあまりにももったいない。
これら宇部の宝をデジタルアーカイブ化して、そこに行けば全てわかる、本物を見ようと思えばどこに行けば見ることができる、という案内のある場所が欲しいと思うのです。