第二百四十段:南海トラフ巨大地震とその時代22

 第二百三十二段で宝永地震(1707年)、第二百三十三段で富士山の宝永大噴火について書きました。
 この時代で、もう一つ忘れてはならない大きな地震があります。
 元禄関東地震がそれです。

 

 元禄関東地震は宝永地震の4年前の1703年12月31日(元禄16年11月23日)午前2時頃起こりました。
 震源は房総半島の野崎岬付近、マグニチュードMは8.2とされています。
 この地震は1923年に起こった関東地震(M7.9)と同じく相模トラフ沿いで起こった地震です。
 その震源を図に示します。

 

第二百四十段:南海トラフ巨大地震とその時代22

 

 図中破線の大きな範囲が元禄関東地震、塗りつぶした範囲が大正の関東地震の震源域です。
 これから元禄関東地震の大きさが伺えます。

 

 この地震では能登半島地震で見られたような地盤の隆起が広い範囲で起こりました。
 房総半島の野島崎で5.0m、現在の館山市で4.7m、房総半島突端が3.4mなどとなっています。
 津波の高さは現在の南房総市で8~10m、三浦市で6~8m、九十九里浜で5~6m、横須賀市で4.5m、横浜市で3~4mとなっています。
 この地震による被害は宇佐美龍夫の「新編日本被害地震総覧」では死者約6,700人、全壊家屋と津波による流出家屋は2万8千軒となっています。

 

 ただ当時は今日のように被害調査がきちんと行われているわけではなく、記録に残っている数字しか分かりません。
 理科年表には死者約1万とあります。
 個人の書いた記録では、地震と津波と火事を合わせると20万人以上の死者が出たとの記録も複数あります。

 

 最も被害が大きかったのが小田原城下で、地震後に大火が発生、小田原城も焼け落ち、小田原領内だけで約8,000戸、死者約2,300人を数えたとあります。
 これに対して幕府は金1万5千両を貸し付け、10か月で返済を迫ったようです。

 

 また江戸城も被害があり、この被害に対しては全国の大名に修理を大名負担で命じたようで、幕府に対して大きな不満を抱かすことになり、社会不安も起こしたようです。
 この4年後に宝永の大地震、富士山噴火と続くわけですから、幕府も大名もたまったもんではなかったでしょう。
 特に庶民は塗炭の苦しみを味わうことになります。

 

 

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